「恋文の技術」 / 森見登美彦

([も]3-1)恋文の技術 (ポプラ文庫)

([も]3-1)恋文の技術 (ポプラ文庫)

 最近文庫になった、森見登美彦さんの小説。手紙で物語が進んでいく。能登半島の隅っこにある海洋研究所に飛ばされた院生が、京都にいる友人や家庭教師の子や先輩や妹にあてて手紙を書きまくる。ただ、それだけなのに、読み進めていくと出来事がどんどんふくらんでいろいろな視点が増えてきて、それぞれの人たちの関係性が見えてくる。ストーリー自体はたわいもない日常。でもそこに生きる人たちが、いとおしくなる。
 にやにやしながら読んだ。楽しくさらっと読める小説なんだけど、この1作にかけてる「労力」は相当のものだと思いました。文章そのものが洗練されているのはもちろん、時系列に沿って仕掛けがしてあるし、文通相手としてしか出てこない登場人物たちのキャラと主人公との関係もよく作られてる。きっと本文には書かれてない相手側の手紙も、作者の手元(もしくは頭の中)にはちゃんと存在しているんだろう。
 文通魔の主人公も、片思いの相手に当てた恋文だけは失敗続きで全然投函できない。でも、最後にとてもいい手紙を書き上げるんだよな。少しだけ、じんときました。

 僕はたくさん手紙を書き、ずいぶん考察を重ねた。
 どういう手紙が良い手紙か。
 そうして、風船に結ばれて空に浮かぶ手紙こそ、究極の手紙だと思うようになりました。伝えなければいけない用件なんか何も書いてない。ただなんとなく、相手とつながりたがっている言葉だけが、ポツンと空に浮かんでる。この世で一番美しい手紙というのは、そういうものではなかろうかと考えたのです。
 だから、我々はもっとどうでもいい、なんでもない手紙をたくさん書くべきである。さすれば世界に平和が訪れるであろう。

「恋文の技術」/森見登美彦 より

 これを読んで、小説のことを言ってるみたいだなとわたしは思った。手紙やブログはどうしても「わたし」を特定の誰かに伝える手段になって、いろいろなものが入りこんでしまう。かっこよく見られたいとか、弁明したいとか、相手によく思われたいとか。でも、小説は違う。誰かに届かせたいけれど、誰に届くのか分からない。「わたし」を伝えたいわけじゃないけど、何かが伝わったらいいなと思ってる。空に飛ばしてしまったあとは、誰かに届いたかどうか、分からない。思いがけず感想をもらったら、風船に結んで飛ばした手紙の返事が返ってきたみたいで、とても嬉しい。