冷泉通の疎水沿いの桜。この疎水をずっと伝って歩くと平安神宮に出る。
 昨日は日記を書いたあとに、自転車に乗って大学へ。桜を見ながら自転車をこいでいると、少し気持が楽になる。時計台の前にはたくさんの人がいて、新入生歓迎やら勧誘やらの大学生たちがわいわいとしゃべっていて、ああ4月なんだなと思いました。京大生協ルネ(書店)も人でにぎわっていた。教科書を買いに来たり雑誌を眺めたり。人がたくさんいる書店を見ると無条件に嬉しくなる。
 地震からちょうど1ヶ月で、ツイッター上で黙祷をささげている人たちがたくさんいた。ふと夕方にツイッターを見たら、揺れた揺れたと関東の人たちがつぶやいていた。また地震。わたしのいるところは少しも揺れなかったのに、文字を見ているだけでぐらぐらと気持が悪くなる。福島が震源地ということしか分からなくて、いくら心配しようとも、それ以上の情報はない。次の予定があったのでネットを閲覧するのをやめる。
 フリーペーパーの取材が1件。新しい人と出会って話すのは楽しい。人と交わることで救われる気がする。京都では日常が動いている。外に出るたびに、それを確認して、自分の中の何かが調整しなおされる気がする。
 今日は朝から小説をやっている。手を休めて少し休憩すると飲み込まれそうになるみたいだ。校正原稿が戻ってきたり、連載がアップされたり、感想をもらったりすると、しゃきっとする。がんばらなくては。
 どんなに罵倒されたってやめろって言われたって、読んでくれる人が0になるまでは、書き続けるって、いつか思ったことがあったな。思うとやるのでは大違いだわ。いや、(それほど)罵倒されてもないし、(今のところ)やめろって言われてもないけど。誰も何も言ってないのに、自分に出来ることは何もない霊に取り憑かれて、ひとりでじたばたしていますよ…。とほほ。