後ろめたさの理由

 被災した人たちが日常を取り戻すまで絶対にサポートし続ける、と決めたら何だかいろいろなことが少し楽になった9日目です。
 何もできないままテレビにかじりついて無気力になっていくよりも、自分の仕事をしっかりしたり、いつもどおりお店でお金を使ったり、疲れたらニュースの入力を絶って休むことのほうが、支援の役に立つということは、頭では分かってた。でもやっぱりずっと後ろめたかった。なぜだろうと悩んでいた。
 だけど、このまま遠ざかってしまうことは絶対しない、と決めたとたんに、日常を送っても後ろめたさはなくなった。戦線離脱じゃない。作戦のために自分の持ち場に戻っているだけ。
 ということは裏を返せば、このままずっと遠ざかっていたいとわたしは思っていたんだ。だから、後ろめたかったんだ。でも、このままずっと遠ざかるなんて正しくない、今苦しんでる人がいるのにテレビ消して忘れてしまおうなんて、絶対に正しくない、と、わたしの良心が必死で訴えていたから後ろめたかった。後ろめたいという思いは、自分の良心の警笛なんだと思った。
 良心に従って、このまま遠ざからないと覚悟を決めただけで、すっきりした。しんどいけれど、正しいことをしたほうが人間すっきりするんだ。「虞美人草」の宗近くんもそんなことを言ってますよ。

「こういう危ういときに、生まれつきをたたき直しておかないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけでできている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後は心持ちがいいものだよ。君にそういう経験があるかい」
「なければ、ひとつなってみたまえ、今だ。こんなことは生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もうだめだ。生涯真面目の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上がってくる。人間らしい気持がしてくる」
「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、なんでもない。ときどき真面目になるからさ。なるからというより、なれるからといったほうが適当だろう。真面目になるほど、自信力の出ることはない。真面目になれるほど、腰が据わることはない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚することはない。天地の前に自分が現存しているという観念は、真面目になってはじめて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へたたきつけてはじめて真面目になった気持になる。安心する。」

虞美人草夏目漱石 より

 連休ですね。休める方はゆっくり休んで、またがんばりましょう。