書きたいことがないなんて思っていた

 かつて、書きたいことがないなんて思っていた。あれは一体何だったのだろう。今は、書きたいことがいっぱいある。いっぱいあるから次々書けるかというと、そうではないところが情けないんだけど。
 いっぱいある書きたいものは、立ちはだかる巨大な岩山のような感じ。あの山にもあの山にも登ってみたい。でも、どうやって登ったらいいのか、経験も体力もなくて途方に暮れる。勇気が出なくてくじけそうになる。でも、一つずつ登っていくしかないから、目の前の山に死に物狂いでかじりついて、振り落とされないよう、一歩ずつ足を進めている状態。
 書きたいことがないなんて思っていたかつてのわたしは、自分のことばかり書こうとしていた。自分の庭に石を積み上げて、ああでもないこうでもないと山を築く日々だった。積み上げ方のパターンなんて、たかが知れていたのだろう。庭にある石の種類だって、すぐに尽きてしまったのだろう。
 だけど、今は、自分のことを書きたいと思わなくなった。山は外にある。その山をぐるぐる回って何日も泊り込んで見守って、自分の間に、何かつながりを見つけ出す。つながりにかじりついて、巨大な山を登っていく。無理して自分を表現しなくても、その登る過程に、わたしは現れている。結果として、出来上がったものは、自分を書こうとしたときよりも、自分の魂がこめられたものが出来上がる。
 これは小説論ではなくて、年を取って、自分以外のものに興味を持てるようになったというだけなのかもしれない。大人になったということなのかもしれない。正しく生きることができていれば、年を取ることは小説家の強みだと思うこの頃です。
 ひりひりするような若さ、未熟さは、いつまでも忘れたくない。魂はそのままで。遠く深く見通せる目を育てていきたい。
 1年分、ちゃんと年を取れた、よい30歳でした。さて31歳はどんな年になるかしらね。誕生日は14日ですが。その日は友達と晩御飯食べるので日記書かないと思ったので1年総括フライング日記でした。