植物のある暮らし

 この家に引っ越してから、植物を枯らしてない。前は何でもかんでも枯れてたのに。サボテンすら枯れて、自己嫌悪に陥るから、もう植物は育てないと決めてたくらいだったのに。
 一軒家で日当たりと風通しがいいせいか、家にいる時間が増えて、うっかり忘れることがなくなったせいか。
 すくすく育つバジルを見ていると嬉しくなる。収穫するのかわいそうな気までしてたんだけど、どうやら茎をつむと、その下の茎が代わりに伸びてくるらしく、つめばつむほど、こんもり育ってくる。
 なんてたくましくて可愛いやつ…!
 自分以外の他の生命に気を配る生活っていいなあとか思う今日この頃です。

 しかし、いざ食べようと思ったら、たっぷりバジルソースにすると丸裸になってしまいそうで、いつもつむのを遠慮して物足りない。人にお裾分けなど全然まだまだだわ、とか思いながら、農家の人ってすごいなあと思考は飛躍するのでありました。

 最近、もっと早く書けないかという思いと、いや、わたしのスタイルではこの速度がせいいっぱい、これ以上無理すると物語に魂が入らなくなってしまう、という思いの間で葛藤してるのですが、ふと有機栽培の農家をイメージしたら腑に落ちたのでした。

 気温も光も肥料も人工的に調整して、農薬も使って、一年に何回も大量に作れるかもしれないものを、たとえば露地で自然とやりあいながら1年に1回作って、収穫量はそんなになく、さらに土を休ませるための期間があったりして効率も悪い方法で、でもそうじゃないと作れない物を作っている、農家があるとする。
 そうやってこだわって作ったよいものを、自分で食べて近所に配って終わり、ではなく、よりたくさんの人にこの味を知ってもらいたいと思ったら、何か別のところで、すごく努力しなきゃいけないんだろう。
 こだわってるんだから仕方ないよって開き直ったら、それは農家ではなく趣味の家庭菜園。
 わたしがやりたいのは家庭菜園じゃないな。
 どうしたらもっと書けるかという問題は、新人の今だからこそ差し迫った死活問題。だって、のんびりしてたらチャンスが逃げちゃうんだもの。日々の生活とスケジュールをもう少し見直してみることにします。で、いつか大物になってチャンスが行列作って家のドアの前でテントたてていつまでも待ってくれるようになったら、ゆっくり書こうかな。春樹みたいにね。

willcom PHS から更新)