ひたすら書く、書く

 なんというか某所で つい勢いで 9月1日までに200枚分の長編書いて提出しますということになり、まったくの新作をひたすら書いています。ほら、あれだ、人には引けないときがあるよね。どうしてももらいたい仕事なので頑張ります。
 これが2作目になるのかどうか、そもそも本になるのかどうか、というか掲載されるのかどうか、全部未定。そんなもの、のようです。わたしもよく作家さんブログで「今○○の話を執筆中」という語を見ては、いつ読めるのだろうとわくわくしていたものですが。大抵、忘れ去った頃に発表されます。中には日の目を見なかったりね。そんなもののようです。
 まあ、わたしにできることはいいものを書くことだけで。
 漠然とした筋はあるけれど、各シーンの生命は書くその瞬間にしか吹き込まれない。だから、一つのシーンを書くためには、何かひらめきのようなものを掴むまで延々考えてイメージを膨らませて力を貯めて、ようし書ける、とパソコンに向かって一息で5枚。すべてを出し切って真っ白に燃え尽きてしまうのですが。再び力を貯めてもう一回同じことをする、と、1日10枚書けます。
 これを毎日すれば1ヶ月で200枚。他の事はできなくなるので、この8月は片っ端から遊ぶ予定を断ってますが。
 夏休みの宿題みたいだよ。まあ、年中夏休みみたいな生活してるので、たまにはこういうのもいいかと。
 中谷美紀さんが書いた、映画メイキング日記「嫌われ松子の一年」を読んだら、小説の苦労なんて映画に比べたらまだまだ甘いわ…と思いました。実際の現実を操作して思いどおりの映像を作り上げるのは、並大抵の苦労ではない。天候にも左右されるし、セットもあるし、細切れのシーンの中で演技をしなくちゃいけないし、時間もかかるし、なんていうか、あまりに非人道的というか…! 中島監督が、じゃなくて、映画というジャンルがね。そこまでして録った作品には、他のジャンルにはないよさが詰まっているわけだけども、でもまあ、映画ファンに怒られるのを承知で言えば、小説ってエコだよねえ。だって、読者の想像力というエネルギーも金もかからないものを使って上演するんだもの。まあ、もちろん、刷られまくって廃棄される本とかエコじゃないけど。
 とにかく、1日10枚しんどいとか言ってないで、頑張ろうと思ったのでした。

嫌われ松子の一年

嫌われ松子の一年