卒業式に行ってきた

 卒業式って人生で何回したことやら。わたしはもう、これ以上卒業するものはないんですが、ツイッターで知り合った方が大学をご卒業されるということで、見に行って来ました。
 京大の卒業式と言えばコスプレすることで有名ですが、わたしは院から京大に来たので、実際に見たことがない。(ちなみに修士の修了式にも数人いた。博士はさすがに0人だった)これって、他の大学にはない習慣なんでしょうかね。
 自分の母校の九大の卒業式ってどうだったっけ…と思い返したら、記憶がなかった。そういえば、たどりついたときには終わっていたんだった…。この先、修士でも博士でも修了式ってあるし、なんだか別にいいやとぐずぐずしてたら終わってたんだった。そういや、成人式も友達と喋ってたら式場に入れずに終わってしまったなあ…。
 自分と関係ない卒業式を眺めながら、いやあ、何だかしみじみ感じ入るものがありました。最近年取ったなあと思うのはこういうときですわ。若いときって、こういう儀式を斜に構えてスルーするのがカッコイイとか思ってたんだろうか。あー!恥ずかしい!節目の儀式なんだから、ちゃんとしてもよかったのになあ。総長の話聞いて、未来への希望に胸膨らませて、蛍の光歌えばいいじゃんか!でもまあ、しょうがない。それが若さだ。それが若さだとか偉そうに言ってる30歳のわたしも、5年後に思い返したら、ぎゃー!とか思うようになるんだろうけど。
 小説家にとって、年取るのはメリットだとわたしは思う。若いときの感覚を忘れさえしなければ、年取るたびに書けるものが広がっていくから。20歳のときは20歳から見た30歳しか書けないけど、30歳になれば、30歳から見た20歳も、20歳から見た30歳も書けるようになる。恥ずかしい過去は宝物ですな、ある意味。

 最初の受け取る人は報道陣に囲まれまくるのである。

 ツイッターで、月野さんのギターを読んだとつぶやいてくれた大根の方。コスプレ集団の中、群れずに一人、孤高の大根。ええ、ええ、白く輝いていました。素敵でした。おめでとうございました。