小説家になりたい理由

 なんで小説家になるのか、その答えは年齢を重ねるごとに変わってきた。最初は小説を書くのが楽しかったから。そのうちに誉められるのが嬉しくなったから。人に認められたいから。小説家になったら人からすごいと思われてお金も稼げるから。自分を表現したいから。会社で働きたくないから。いろんな理由があった。でも、長くやっているうちに、小説家になったところで誉められるわけでもないし(むしろプロの土壌に出たらけなされることの方が多いだろうし)、お金持ちになれるわけでもないし、かっこいいわけでもないって分かってきた。
 そして今、有名な企業に就職したり、研究者になっていく同級生たちに比べて、院まで出たのに、しがないバイト暮らしのわたしは社会の基準で見ればおちこぼれという現実があるわけで。今まで漠然と思い描いていた「小説家になりたい理由」がここで全部、却下されてなくなった。でもまだそれでも小説家になりたいと思っていた。上っ面の理由を全部失って初めて見えた理由は、小説が好きだから、というものだった。初めて小説らしきものを書いた十歳の頃から、全く変わらず、わたしの中にあり続けた理由だった。ずっとあり続けていたのに、いろいろな欲や見栄に隠されていた理由だった。
 小説というものが好きで好きでしょうがなくて、尊敬してて、可能性に魅入られていて、小説に携わる人生を送りたい、と思った。なんだかそれは、「神」というものに惚れこんで布教活動をする宣教師に似ていると思った。そう考えたら、やるべきこと、やりたいことがすっと見えてきた。
 いい小説を書いて自分の手でいろんな人を小説の世界に引き込みたいし、いい小説を紹介して小説のよさを伝えたい。写真やデザインや喋りで普段小説に興味のない人を巻き添えにできるなら、どんどんやりたい。
 たぶんそれは、引きこもって苦悩して依頼された原稿をどんどん書き上げて、原稿料だけで生計をたてる小説家のイメージとずいぶん異なっていると思う。かつては、小説の原稿料だけで暮らしていけたら一人前の小説家で、それを目指さねばいけないって思っていたけれど、今は違う。それだけにこだわらず、他のバイトをしながらでも、信念を持ってやっていけたらいいなあと思う。
 サイト「作家のたまご」も信念のひとつ。理想は糸井重里さんがやってる「ほぼ日刊イトイ新聞」です。無料で見れて、毎日更新されていて、肩の力が抜けていて、でも本当に充実した内容。ぶれないコンセプト。ただのボランティアじゃない。このサイトを見てびしばし信念が伝わってきて、ほぼ日のファンになってしまったわたしは、ほぼ日手帳も他の手帳より圧倒的に高かったのにえいやっと買っちゃったし(ちなみにとても満足で来年も買うつもり)、ここのコンテンツから本が出版されたってなったら買っちゃうと思う。最初は利益なんて考えずにやってただろうけど、結果的に利益もついてきている。でも、ほぼ日は態度を変えたりしない。他のサイトに比べたら商売っ気がなくて(有名人がやってるサイトって宣伝や告知ばかりだよね)、楽しんでやってるのが、こちらも見てて楽しい。
 そんなサイトになれたらいいなあ。まだまだだけど。小説を好きになるような、サイト。

 ところで(ずいぶん長くなっちゃったけど続きます)、少し前からツイッターを始めてますが。何となくどんなものか分かってきました。これ、新規登録して自分のページを作ると、「フォロー」した人のつぶやきがリアルタイムに自分のページに表示されるというものでしてね、自分も短い言葉を投稿するとフォローされてる人のページと、自分のところに表示される。ミニ日記+リアル表示版みたいなもの?です。mixiなどのSNSと違って公に公開されてて、知り合いじゃなくても勝手に「フォロー」してよい、という暗黙のルールがあるから、小説家さんやタレントさんや有名人さんやらを見つけては大興奮でフォローしていったのですが、だんだん慣れてくると、これは流れっぱなしのラジオのようなものかと思うようになりました。別にラジオに有名人が出演してて喋っててもめずらしくも何ともないわけで。でも普段聞けない素顔が見れて面白かったり。
 たまたま自分がログインしてる時間に呟いてる人たちの声を見るともなしに見ていると、自分は一人の部屋にいてネットの世界にいるのに、ちょっとした雑踏にいるような気持になる。それってとても不健全かもしれない。寂しがりやの依存症のような。でも、わたしはもともと、カフェや街角で耳に入る人の会話を盗み聞くのが好きという不健全な趣味を持っているので、いろんな人がいろんなことをしていて、いろんな思いをつぶやいている、そんな雑多なツイッターを、面白いなあと思います。
 まあネットを滅多にしない人は、どんどん流れて忙しいので、合わないかもしれないけれどもね。