実践的日記(3)

 陶芸の話を書こうと思い立って、もう半年以上過ぎた。まだ、書けない。何かが足りない。
 かろやかな佇まいの陶器たちが、わたしを呼んでいた。ガラス張りの入り口には、ギャラリーと書いてあった。横に、陶芸教室とも書いてあった。
「実は小説を書いていて」初めての人に言うのは、とても恥ずかしい。
「陶芸家の話を書きたいのです」
 好きなときに来たらいいよ。白い髭の陶芸家は言った。人好きのする、ぼたもちのような輪郭だった。
 コーヒーをご馳走になった。
「なぜ陶芸を」と聞かれて、答える準備をしていなかった。口ごもる。間を置いてもう一回、それからまた一回。計、三回聞かれた。計、三回口ごもった。口ごもっても、口ごもっても、彼の笑顔は壊れず、まばゆかった。
 なぜ陶芸を書くのか、わたしには、わからない。うまくすれば、出来た小説を読んだ誰かが答えてくれるかもしれない、と思った。わからないまま、進んでいくのがよい、と思った。でも、まだ言わなかった。
「なぜ陶芸を」聞かれるたびに、恥ずかしいと思った。早く恥ずかしくないものになりたい、そう思った。でも、恥ずかしくないものになったら、こうやってコーヒーを飲んでいないかもしれない。
 恥ずかしいものでよかった。強く自分に思わせるため、日記を書いた。


川上弘美「真鶴」の文体で日記を書くという実践)