池澤夏樹講演会「世界を読みとく」

 先日、京都精華大学の企画で池澤夏樹さんの講演会があったので行ってきました。テーマは「世界を読みとく」。フランスに住み、並外れた読書量で、世界の文学を愛し、芥川賞の選考委員でもある、作家の池澤さん。彼が一人で選んで編集した世界文学全集が刊行されているわけで、宣伝兼ねた講演会をあちこちでしております。と言う感じで、ざっとレビューしてみます。まあ興味ある人だけ読んでください。言葉足らずだったり、解釈間違ってたらすんません。拾えるものがあったら拾っていってくださいね。

 イントロは、短大生フィレンツェ落書き事件に対する日本とイタリアの反応の差を比べながら「世界は違う、違うけど理解は出来るのだ」という話に続けていこうとしているのかしていないのか、先が見えない雑談が続く。マイクの音が小さいのか、ぽつぽつ喋る声のせいか、音声が聞き取りにくく、おじいちゃんたちが両手で耳に手を当てて耳をたてているのがちょっと可愛らしかった。
 世界文学とは何か。世界文学の反対側に位置するのは国民文学である。一国の国民の結束のために書かれた文学。日本の作家で言えば、司馬遼太郎。彼は「日本人とは何か」ということを問い続けた。逆に世界文学の例を挙げるなら村上春樹。「今の時代に人が生きるとはどういうことか」ということを問い続けていると思う。意外な例を挙げると、宮沢賢治も世界文学だと思う。彼は「自分とは何か」ということを東北の言葉で考えた。ローカルから出発して日本を越えて世界へ(そして銀河へ)出て行った。googleで検索すると、漱石より人気らしい。漱石は今の我々の問題に響かないけど、宮沢賢治は今でも通じるものがあって見直されているのではないか。
 世界文学全集を出すことについて。昔は立派な本を並べて教養を深めるのがいいとされていた。今は消費文化。全集を買う習慣がなくなる。日本は便利になり、日本人は我慢しなくてよくなった。でも、たとえば、大学でやる勉強ってのはすぐには役に立たないが、自分は若い頃やった勉強が今も役に立っている。(だから全集を読むといいよ)
 どうやって作品を選んだか。今ここに生きている自分に役立つものを選んだ。(ただし、役立つといってもすぐには役立たない。上述参照)。今の世界が出来たのは、第二次世界大戦後、1945年以降だと考えている。アメリカとソ連が冷戦状態になる。植民地が次々独立する。ベトナム戦争ソ連アフガニスタン侵攻に失敗する。そんな時代。今回は1945年以降に書かれたものを選んだ。テーマは、「ポストコロニアニズム」と「フェミニズム」。アメリカ・ヨーロッパ以外の小さな国、元植民地出身の作家、もしくは支配国から元植民地に移住した作家、そして女性。これまでペンを持ってこなかった人たちがペンを持ったところに面白さがある。
 フェミニズムとして代表的な人を挙げると、マグリット・デュラス。フランスの作家だが、少女時代を過ごしたインドシナの話を書いている。ジーン・リースカリブ海ドミニカ国出身の女性作家。
(テーマを先に決めて選んだというよりは、心惹かれるものを選んでいったらそういうテーマが見えてきた)
 今回の芥川賞について。受賞したヤン・イーさん。日本語は洗練されてはない。芥川賞のレベルでこの使い方はないよね、という言葉も出てくる。でも彼女には書きたいことがある。他の作家は、小説を書きたくて小説を書いている。しかし、彼女は伝えたいことがまずあって、それを小説という手段を使って書いている。前回は惜しくも賞を逃した。今回は前回と全く違う話を書いてきたので、この人はもっともっといろいろなものを書ける人だと思った。早くたくさん書いてほしいと思った。選考会で大演説をして押した(某選考委員が欠席してたのをいいことに(笑))。 ヤンさんには、日本の停滞している文学を揺さぶってほしい。今の小説はぬるい。男と女が出てくるけど恋しそうでしなくてベッドに入りそうで入らない話、ニートの話、ケータイがどうとかの話、ばかり。うまいんですけどね。
 翻訳の話。翻訳をすると元のよさが失われる、原語で読むのが一番いいじゃないかという議論もある。しかし、翻訳のよさもある。翻訳は100%伝えることはできないが、自分で下手な訳で読むより早いし、たくさん読める。小説には読むべきスピードがある。出てくる単語の半分を辞書で引いていたら読めない。
 もう一つのよさは、翻訳は新しくできる。イギリス人はいつでも原語でシェイクスピアを読むしかないからかわいそうだなあというジョークもあるくらい。
 世界文学全集の中に日本人を入れるとしたら? 充分入る作家はいる。村上春樹、中上健二、大江健三郎。でも全部文庫で読めるので敢えて入れなかった。あとで入れたいと思った日本人作家がいる、石牟礼道子
 質問コーナー。簡潔にと言われているのに大演説するおじいさん。わたしゃ、前回の芥川賞受賞作「乳と卵」を何度も読ませていただきましたけど、何回読んでもよさが分からん、感心しない。先生はどうお考えでしょうか。池澤さん、苦笑しながら私が押した作品なので、私はいいと思います。あれは、口をきかなかった少女が最後に口をきくようになるところまで持っていく実力。最後のカタルシス。卵最後にぶつけますが、あれは日本文学史上二回目の卵合戦って私は読んでるんですけどね、一回目は坊ちゃん。これはまあジョークですけど。

 こんな感じ。レビュー以上ー!

 わたしの感想はですね、ヤン・イーさんに言及したときの「彼女には書きたいことがある。他の人は小説を書きたくて小説を書いている」という言葉に、ぐさりときました。書きたいこと、わたしにはあるんだろうか。くらくらする。日本だけで育って、どこからも外れずレールの上を歩いて、不幸も葛藤もない、わたしの書きたいこと。わたしもヤン・イーさんの小説を読んだとき、池澤さんと同じことを感じました。この人には書きたいことがある、と。日本語の文章が未熟とかどうでもよくて、この人の話ならもっと聞きたいと思わせられた。

 天を見上げてくらくら眩暈がする気持ち。
 ないものをねだってもしょうがなくて。
 自分の目の前にある地面を踏みしめて道を作っていくしかなくて。
 自信なんてない。どこにもない。何も持ってない。
 でも進むしかなくて。
 だってもう、後には道がないんです。