アウトサイダー・アート

アウトサイダー・アートとか、アール・ブリュットとか言いますが、わたしにはこれを定義するのは難しすぎるので、パンフから引用します。

アウトサイダーアートってなあに?
精神病患者。知的障害者。幻視家。囚人。変人。社会から見放された孤独な人。「アウトサイダーアート」は、そんな正規の美術教育を受けていない独学の作り手たちが制作した作品をさす。フランス語では「アール・ブリュット(生の芸術)」と呼ばれる。

近江八幡の古い旧家を改造して作られたアートスペース、「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」で、アール・ブリュットの企画展をやっていたので見てきました。あ、今日まででした。なのに宣伝するのは、5/24〜7/20まで東京新橋の松下電工汐留ミュージアムでやるからですよ。
http://www.no-ma.jp/artbrut/outline/index.html

障害がある「のに」こんな作品が作れるのか、と思えばいいのか。
障害がある「から」こんな作品が作れるのか、と思えばいいのか。
作品と対峙するたびに、わたしの中の何かがぐらぐらと揺さぶられる。興味深いねえなんてガラスの外から眺めてられない。すごいねえ、なんて言ってられない。

彼らの経歴とともに添えられた作品は、すごいのか稚拙なのか、アートに疎いわたしにはよく分からない。でも鬼気迫る迫力がある。何も喋らない、何も語らない、施設の誰もが心を理解できなかったほど重度の精神障害のある人が、幾何学模様を毎日描きつづる。見たことのない白黒の模様が独特の秩序で綴られ続ける。その底に何が篭められてるんだろう。彼には何が見えているんだろう。誰も何も言わないのに、自主的に筆を取る彼ら。賞賛も評価も求めていないから、作品を多くは丸めて捨てられたり破られていたりもする。

冷静に眺めてられない。わたしには評価できない。
彼らの「生」に巻き込まれる。

作品を見るまでは、ずっと「障害があるから」という考えを振り払って見ないといけないと思ってた。純粋な芸術として評価しなければいけない、なんて思っていた。そうじゃないと失礼なような気がしていた。それがアーティストとしての平等さのような気がしていた。でも作品と対峙したら、そんな考えは吹っ飛んでしまった。作品が彼らの生そのものだったから。説明も評価もできない。ただ、そこには彼らの生の魂があった。

もう一つ、引用。

芸術はわれわれが用意した寝床に身を横たえに来たりはしない。芸術は、その名を口にしたとたん逃げ去ってしまうもので、匿名であることを好む。芸術の最良の瞬間は、その名を忘れたときである。
(芸術家ジャン・デュビュッフェ)