誠実な詐欺師のように

 種だった。それが一本の樹になった。大地に根を張り、天に向かって成長し、枝葉を自在に伸ばしているのが初稿の段階。これからできることと言えば、葉を刈り取ったり枝を曲げたり幹を磨いたり肥料をやったりすることくらいで、大きな根本みたいなものはもう変わらない。ポテンシャルのようなものも、種から樹に育つ時点でもう決まっている、とわたしは思う。
 初稿が完成しました。今から推敲。もうほとんど時間がないのだけれど。
 向き合えば向き合うほど、足りなさが分かる。でも、出来上がってしまった樹を否定しない。それはそれだ。成ってしまった物語は、自分のポテンシャルの中で精一杯やっている。わたしのできることは、少しでも誰かに深く届くよう、誠実に推敲していくだけ。
 今までは、書き上げてから賞に落ちたのが分かるまでずっと満足し続けていたのに、最近は書き上げてから満足しなくなるまでの期間が、だんだん短くなっている。おととしは、一ヶ月。去年は三日。今年はたぶんもっと少ないね。満足しなくなったものを、人に読んでもらうのは苦しいよ。でも面白かったと言われると嬉しい。「ありがとう、でもまだ」と思い続ける。だけど、「でもまだ」なのは作り手の勝手な事情だから、面白かったという言葉自体を損なわせてはいけない。「まだ」は、ごっくんと飲み込む。ありがとう。その一瞬だけ、「まだ」を忘れることができる。生きててよかったと思う。
 前よりは、実力がついた気がする。でもまだ。書けば書くほど足りなさが身に染みる。足りなさは書かないと分からない。奢らず僻まずにいるにはどうしたらいいんだろうって思ってた時期もあったけれど、そんな状態は真剣にやっていれば自然に到達できるんだ、と最近思うようになった。もっと言えば、到達できたとも思ってる。もしこれから先、わたしが少しでも奢っていたら、それは真剣さが足りてない証拠だ。指差して、笑ってやって。
 奢らず僻まず判断するなら、今回は一次通過くらいかな。推敲頑張ります。
 奢らないということは、足りなさに気づくことだ。
 僻まないということは、足りなさに目を逸らさないことだ。