弥生の終わりの寒い日に

 後輩と会う。
 
cafe weekendersにて)
 わたしの通っていた塾は支店も何もない小さな塾だった。とてもいい先生と仲間に出会えた思い出深い塾。受験生のわたしは過去のすごかった卒業生たちの伝説を聞かさせ鼓舞されて頑張ってた。
 今日会った彼女は7才も下なので塾で一緒にいたことはないし、お互いを直接は知らないのだけど。彼女はわたしのことを知っていた。受験生の頃に、わたしの話を先生からよく聞かされていたんだそうだ。自分の頃を思い出しながら、きっとあの先生があの調子で伝説に仕立てあげて、あんなふうに喋ったんだろうと浮かんで、にやにやする。誇張だろうと何だろうと別にいいや、ネタに使ってもらったら恩返しだ。まさか自分がそうなるとは、高校生の時には思いもしなかったのが、可笑しい。
 24歳のとき、塾で遊びに行ったときに高校生の彼女と出会っている。それ以来の再開。カフェで向かい合って喋っていると7才の年の差なんて感じなくて、でも7才分きらきらしていて眩しかった。わたしも頑張ろう、とパワーをもらった。
 いろいろな進路がある。
 いろいろな進路をいよいよ進み始めるのは大学を出てからなのに、受験生の当時は大学に入るまでの未来しか想像できなかった。でもまあ、結構それでよかったんじゃないかと思う。今でもそうかも。数年後のことしか想像できない。綿密な動機や計画もなく、直感でなりたい自分を決めて、今この瞬間を全力失踪する。
 なんてね。
 4月末の日本ファンタジー大賞に応募しようと、せっせと書いています。陶芸の話とはまた別の話。陶芸の話はしばらく寝かせておいて、これが終わったら書き始めるつもり。ファンタジー大賞の規定は原稿用紙300枚以上。わたしは今まで200枚しか書いたことがない。300枚の壁を越えなくては。村上春樹のエッセイに影響されすぎなのだけど、マラソンランナーのイメージが頭から離れない。今までわたしは行き当たりばったり、瞬間的な反射神経で書いていた気がするけれど、300枚はそういうわけにはいかないのだなと思う。こんなコースを走ろうという大まかな全体像は見えていて、でも瞬間瞬間をどう上手く走るかということに常に神経をとがらせて、その積み重ねの道のりがゴールに繋がる。思い描いた以上の走りでゴールができたとき、そこには勝ち負けに関係ない達成感があるのだろう。賞に受からなければ、作品が消えてなくなるわけではない。書いたら読みたいと言ってくれる人がいる。ゴールで待ってる人たちがいる。少しずつ増えていってる。本当にありがとう。