ものの記憶

 京都大骨董祭に行ってきました。
http://www.yumekoobou.com/saiji/index.htm
 京都駅よりまだ南、パルスプラザというところであったのですが、チャリで行ってきました。たぶん片道14kmくらい。脂肪燃焼させようキャンペーン中ですので。結果、筋肉痛です。
 ただっぴろい会場中に京都の骨董品屋が大集合。古美術品あり、陶器あり、人形あり、刀あり、着物あり。西洋アンティークもあり、アクセサリーもあり。とにかく骨董と名のつくものが集合していて、その光景は圧巻でありました。

 骨董品好きが集う熱気が会場を支配してる。店を広げてる店主たちも、どうにか売らねばというよりは、自分の秘蔵のお宝を広げてみんなに見てもらってご満悦といった感じ。久しぶりーとか言いながら骨董品屋同士の内輪の盛り上がりも垣間見せ。何かに似てるなあと思ったら、文芸フリマみたいだった。行ったことないけどコミケとかもこんな感じじゃないでしょうか。趣味が同じ人たちの集うお祭りでした。主催者の骨董屋の主人の手作り感溢れる館内放送が流れる。ロシア骨董を探しておられるお客様が来ています。心当たりの出展者は本部まで来てください、とか。1階の奥に休憩スペースを設けています。軽食も用意しているのでご利用ください。また、私の妻の作った愛妻カレーも販売しているのでぜひご賞味ください。あ、愛妻カレー!?
 川端康成の古美術収集のエピソードや、陶芸家の小説を書いていることや、着物を着こなしたいと思っていることやら、いろいろわたし的にこの骨董祭には惹かれるポイントがあって、きゃっきゃ言いながら満喫しました。弥生土器とか売ってた。うん百万の陶器とかあった。着物と帯が千円や2千円で売ってた。骨董なのかガラクタなのか分からないものもたくさんあった。縄文土器の破片がひとやま一万円だった。どうすんだろ、これ。
 とにかくその熱気の中にいるだけで、何だか気持ちがよかった。良いものを大切に使ったから未だに残っていて、それがまた誰かの手に渡って使われようとしている。安かろう悪かろうで新しいものをどんどん使い捨てにするのとはまた違う時間の流れがここにある。古いものを見ているだけで、気持ちがすっと広がる気がする。ものには使った人の思いが宿っているし、作られた時代の空気が詰まっている。江戸時代の版画を見ながら、明治に使われていた食器を眺めながら、脈々と続いている時の流れの先っちょに立っているのだと思う。

 大骨董祭、あさってまで開催しています。6月にもあるらしいよ。