ファンタジー小説って

 ファンタジー小説と言えば、ハリーポッターやら指輪物語やらを思い浮かべるでしょうか。それとも勇者とか魔法使いとかが出てくるRPG風のライトノベル? この日記を書くにあたって、ファンタジーとはなんぞやとwikipediaを読んでいたら、子供の頃よく読んだ小説がいっぱい出ていた。ガリバー旅行記、メアリーポピンズ、オズの魔法使い不思議の国のアリスetc..。ファンタジーの定義はいろいろあるだろうけど、子供のときはこれらをファンタジー小説だと思って読んでいなかった気がする。魔法使いが出てきても、ライオンが喋っても、小人が出てきても、きのこを食べて体が大きくなったり小さくなったりしても、「そういうもんだ」と自然に受け入れて読んでいた。かといって、同じことが現実の自分が暮らしている世界で起こると考えるほど幼くはない。だけど、「これは現実では起こらないからファンタジー小説なんだ」と思うこともなかった。現実で起こるかどうかは問題じゃなかったわけで、一旦本を開いてしまえば物語のルールに従ってのびのびと遊ぶことができた。
 そういう読書体験をしながら育ってきたので、今もファンタジー小説と呼ばれる不思議な物語を読むことには抵抗がない。でも逆に「ファンタジー小説とはなんぞや」という議論に抵抗がある。小説をファンタジーとそうでないものに分けることにも抵抗がある。物語の中に非現実的な要素が出てきたら過剰に反応してこれはファンタジー小説だと分類し、非現実的な要素がなければ普通の小説だと分類する、そのことには興味がないのです。
 でもまあ、世の中にはノンフィクションしか興味がないという人がいますよね。「本当にあった話」と銘打たれたお涙頂戴のケータイ小説はバンバン売れますし。新書やらハウツーものは読むけど、小説は読まないという人もいっぱいいますし。中には、現実的な小説は読むけど、非現実的な小説は読みたくないという人もいると思う。そういう人にはファンタジー小説という分類は便利だろう。(逆に、日常となるべく離れた非現実的な小説を好んで読みたいという人もいる。)
 物語書きとしては、「フィクションだから興味がない」という語を聞くと寂しくなってしまう。フィクションを読むことの効能もあるんだよ、と思う。小説も映画も漫画も、よく出来た物語はたとえ「架空の世界」であっても、作者という一人(もしくは複数の)現実の人間から生まれた物語であって、その世界のルールは作者自身の現実に基づいているんだと思う。地球の重力や物理法則から解放されたこころが自由につむぐ世界は、人間の本質に光をあてることができるんじゃないかなと思うのでした。だから現実の法則とかけ離れたファンタジーこそ、こころを酷使するわけで、現実では見えないものが見えたり、わくわくしたり、別の自分を発見したりできるんじゃないかななんて思ったりします。もちろんよく出来たファンタジー限定だけど。ゲームや使いまわされた設定に乗っ取ってキャラクターだけ動かすような小説じゃなくてね。独自の世界そのものが作者の魂削って生み出されたような小説。カフカとかボリス・ヴィアンとかガルシア・マルケスとかが好きです。
 以上、物語教狂信者からの戯言でした。わたしの信仰してる神様は物語の神様なのですわ。
 物語の力を信じている。

 さて、こんな賞がありますよ。「日本ファンタジーノベル大賞
 http://www.shinchosha.co.jp/fantasy/
 この賞はファンタジーといっても勇者や魔法が出てくるものではない。不思議さも許容した面白い小説大賞という印象の、とても太っ腹な賞です。受賞作をいくつか読んで思ったのは、読売新聞の読者(テレビドラマに泣いたり笑ったりだけじゃなく、もうちょっと趣味を深めたり映画を見たり本を読んだりして楽しみたい。でも芸術や学問を追及するほどオタクじゃない、中高年の方…と勝手にイメージしてますが。間違ってたらすみません)が、「あー、面白かった!」と満足するような小説が選ばれてるんじゃないかなあということ。マニアックな小説の読者には物足りないかもしれない。文学評論にはあまり耐えない作品かもしれない。かといって、全くの大衆小説というわけではなく、文章の手触りは純文学に近い。受賞作のお気に入りは、この3つかな。

太陽の塔

太陽の塔

森見さんは最近よく売れてますね。京都の町を舞台に冴えない大学生がストーカーもどきに恋する女の子を追いかける「太陽の塔」。どこがファンタジーかと驚いたけれど、叡山電車銀河鉄道みたいだったりと少し不思議。「夜は短し歩けよ乙女」でも、天狗を名乗り宙に浮かぶ男が出てきたり、彼の小説にはそういう要素が出てくるのです。これは「おはなし」なんだよ、という記号的な「不思議要素」。おはなしなんだから目くじらたてずに気楽に読んでよ、という彼の話術にはまって気がつけば、ああ楽しかったとにこにこしてしまうそんな作者。彼をデビューさせたファンタジー大賞はやるな、と思う。ちなみにわたしと同じ年。理系院生出身。超気になります。読後の感想はこちら
ラス・マンチャス通信

ラス・マンチャス通信

平山さんの「ラス・マンチャス通信」はゴシックファンタジーみたいな。古い古い石造りの町をちょろちょろ流れる水のようなそんな雰囲気。語り手は若々しく、村上春樹の「僕」のような適度に覚めた不思議君。この人男性なんだけども、よく行く本屋で女性作家のコーナーに並べられてるのが気になってしょうがない。まあ、それはさておき。読後の感想はこちら
僕僕先生

僕僕先生

「僕僕先生」は、かわいい仙人とニート君が旅する成長譚。仙人の業界(?)の薀蓄が嫌味なく楽しく語られるので世界を満喫できる仕組み。読後の感想はこちら
 ファンタジーとは何ぞやなんてやらないし。選ばれる小説は、様々なジャンルがあるけど、親しみやすい感じで読みやすく面白い。そんな不思議な太っ腹な賞です。太っ腹といえば、賞金が500万円。鼻血出るね。でも、主催が読売新聞だから他の賞みたいにレギュラーな文芸誌を持ってるわけじゃない。ここで産声上げたあとは自力で何とかしなさい感が漂ってるなあと思います。
 あ、長々とすみません。ここ狙って今執筆中です。300枚以上という規定がネックで今まで挑戦できなかった賞です。受賞したら500万…!借金が返せる!という妄想をしつつも、実際には初挑戦だし受賞どころか一次通過も難しいだろうなと思ってて、でも今まで書いたことのない300枚以上というぶ厚い壁を越えられれば今回はひとまずオーケーかなと考えていますよ。締め切りは4月30日。この賞、発表が早いのも嬉しいよね。がんばりますー。純文学の中編の賞は、どう書くか、何を書くかに延々時間をかけるけれど(で、そこが出来たら早いけど)、面白い物語を長く書くという目的でコンディション整えながら息切れしないように書き続けるのです。間に合うかな。