そこには何かがあったのに


 工事現場に惹かれる。そこには何かがあったはずだけど、建物の痕跡がなくなって、ただの土地になってしまうと、ぽっかりと記憶に穴をあけられた気分になって、何も思い出せなくなる。よく通る場所でも何があったのか思い出せないときがあるし、お気に入りの店がなくなって悲しいときもある。やがて、新しい建物が建てば、昔あったものを思い出そうともしなくなる。でも、もし、昔あった建物に個人的な係わりがあったらいつまでも思い出しては寂しくなるときもある。それは、どれだけ関わっていたかによるわけで。
 ヒトのことを思う。誰かがいなくなったその場所に新しい誰かが入ってくる。たとえば、コンビニの店員が変わったことを一人の客であるわたしは気づきもしないかもしれないし、なじみの客である誰かは気づいて今度のはもたもたしてるなあとイラつくかもしれない。雇い主は以前いた誰かが突然やめて連絡が取れなくなったことに対して半年くらいは腹をたてているかもしれないけれどやがて忘れていくだろう。だけど、その誰かと近しい人間たちは彼/彼女が失踪し、あげく山の中で見つかったことをいつまでも忘れることはできないだろう。彼/彼女がいなくなり、新しい誰かが生まれる。わたしのいる場所もわたしがいなくなれば他の誰かが代わりをつとめるのだろう。どれだけがんばっても80年くらいしか居続けることはできないから、代わりにわたしは一冊でいいから100年後も残る本を残したい。その本が100年後の誰かとハローっなんつって交流したら素敵だなと思う。