小説の描写

 ひょんなことでお知り合いになった画家の津田やよいさんのブログの音について。という記事にこんなことが書いてあって、とても興味深かった。

しかし絵を描いているとき、特に実物を見て描いているときは、描いている対象だけにではなく、描く対象が置かれている空間に神経が張っているので、その部屋の雑音、かかっている音楽、ラジオの音も風景の一部となる。
またまわりに人があれば話し声さえも絵に必要な要素である。その空間の日常が絵に必要なのだ。

 音がうるさいから絵に集中できない、じゃなくて、その音も風景の一部として絵に取り込んでしまう。へええ、と思った。こんなふうに言葉にしてくれるのは、とても有難いな。想像が膨らむ。
 絵って、説明できない生の何者かがどーんとそのまま伝わってくる。言葉を介さないからこその何か。そうか、それは音や空気や感情がこめられているからか。何が描いてあるかを見るだけなら、簡単に心を傾けずにただ形を写すだけでいいのだろうけれど、絵というものは、そこにいろいろなものを加えることができて、そういう余計なものをどれだけこめれるかに表現の面白さがあるんだろうな。
 ところで(と、続けるのもしらじらしいけれど)、来週の洛翠舎の講座のテーマは、小説の描写についてなのです。はっきりいって描写なんてなくてもストーリーは伝わる。誰が何してどんな会話をしたか、それを並べるだけでも充分面白い物語はできあがって、たくさんの人をわくわくさせられる。むしろ、そのほうが読みやすいという人が多いかもしれない。必要ではないもの。でもそういう余計なものを介してでしか伝えられないものがあるとわたしは思うから、試行錯誤して頭を悩ませて描写をしていくのかな。
 小説の描写というものは、演劇で言う演出だと思ってます。脚本があって、それをどう演じるか。どんな音楽をつけるか。どんなテンポで進めるか。ライトはどうするか。暗転のタイミングは? 呼吸は? 舞台装置は? 小道具は? 衣装は?
 わたしも毎回試行錯誤で、ノウハウを教えるなんてことは全然できないけど、どんなことを考えて、どんなふうに試行錯誤しているのかを話せたら、聞いてくれた人がなにかを書くときのヒントになるかもしれないと考えてます。小説に限らず、エッセイや日記を書くときでも役立つと思う。
 毎日不安な日々だけど、この一時だけでも頭をちょっとふだんと違う回転をさせて、少しでも気晴らしになればいいなあと思ってます。実際に書いてみたり、ほかの受講者と意見交換してみたり、わきあいあいとやるつもりです。笑顔が見たいです。では、来週、お会いできるのを楽しみにしてます。

小説の書き方講座:講師 寒竹泉美
2011年4月9日(土)13:45〜15:15
■場所■
京都大学楽友会館 2階 会議室6
京都市左京区吉田二本松町
※市バス 「近衛通(このえどおり)」下車 徒歩すぐ
■費用■
1,000円
申し込みは洛翠舎のHPから。
http://rakusuisha.com/