3月の終わり

 3月の終わりは、月の終わりというだけでなく、年度の終わり。もうすぐ桜が咲くなんて信じられない。何だか半月くらい、ごっそりとどこかへなくなってしまったような感じがする。
 先日、東京から院生時代の友人が仕事でやって来て、数人で集まってゴハンを食べた。地震の日、研究室の天井が落ちてきた話や帰れなくて避難していたことなんかを聞いた。みんなが地震の被害についていろいろな話をしている中、わたしひとり青ざめて気分が悪くなってしまって、地震の話はもうしないでと言ったら「あれ、何の被害もなかった関西の人でもそうなんだ」とぽかんとされた。…いや、関西の人というか、わたしだけかもしれないけど。
 今までどおり淡々と日常をこなしている人もいる。スピッツのマサムネさんみたいにショックで入院しちゃった人もいる(大丈夫かな…)。被災地のために行動に移している人もいる。わたしは、自分の場所から一歩も動けずに相変わらずじたばたともがいている。
 地震の前後で世界が変わってしまったように思っていた。でも、変わってしまったのはわたしのほうだった。今、本当にひどい状況になっているけれど、ひとりひとりのつらさに思いを馳せたら本当に想像を絶するけれど、だけど、こんなことが地震の前にはまったくなかったわけではないのだと思った。毎日毎日、どこかで、何ひとつ悪いことをしていない誰かがひどい目にあって、それをわたしはニュースで見聞きして知っていて、見て見ぬふりをして暮らしていた。そして忘れていた。それに気づいて以来、ずっと自分の中の世界がぐらぐらとしている。能天気に暮らしていた今までの自分を思うと、今頃になってこんなふうにショックを受けている自分が偽善者みたいで、酔うほどに、揺れる。
 世界は元からこういうものだった。突然、まやかしの術から覚めて、楽しい美しい何とかランドの壁が崩れて、わたしは、こんな世界に立っていたのかと慄然としてしまった。でも、これが本当の世界の姿なんだ。わたしはこの世界で小説を書かなくてはいけないんだと思った。ぐらぐらして踏ん張って、物語を作るのに時間がかかる。より強固に建てなおさなくちゃいけない。立ち向かえるものを。