言葉がないときの言葉について

「お見舞い申し上げます」という決まり文句をあちこちで目にする。そのたびに、もっと何かほかにないのだろうかと思っていた。借り物の言葉のような気がして、不誠実じゃないかと思っていた。わたしは自分の言葉で言おう、と思った。でも、言うたびに失敗する。書き終わったときはこれでよし、と思っていても、ほかの人から被害を受けた人が見たら不快に思うかもしれないと指摘されて、本当にそうだなと反省することを何度も繰り返してきた、2週間でした。
 想像力と配慮が、まだまだ足りないんだ。本当に本当に目の前に、こんな不条理な暴力によって大切な人や生活を奪われた人がいたとしたら、何を言えるだろうとずっと考えていた。考えて考えてようやくぼんやりと彼らが目の前に浮かび上がった瞬間、わたしは完全に言葉を失った。何も言えない。何も言えないと言うことすらできない。だから、言葉を重ねようとすればするほど誠実さから離れていったんだと思った。 
 公の場で目にするあの決まり文句は、何も言えない代わりに付ける喪章なのだ。だから空虚で無個性で当然なのかもしれない。喪章にオリジナリティや個性を出そうする試み自体がふざけているんだと分かった。
 自分に近い環境の登場人物を書くときですら、あらゆる努力をして必死で分かろうとするのに、わたしが経験したことも想像したこともない暴力にさらされた人のことを、テレビやニュースで見聞きしただけで何が分かるというのだろう。分からないよ。でも、その悲しみやつらさには絶対に届かないと分かった上で、それでも分かろうとすることを、あきらめないつもりです。この先ずっと。でも今は言えない。わたしはここに座っているだけだから、まだ何も言えない。
 村上春樹の「アンダーグラウンド」という本を思い出した。地下鉄サリン事件の被害者の方にインタビューをして本にまとめた「非フィクション」。

最初に思ったのは、これはフィクションにすべきではないということでした。フィクションにするにはまだ早すぎるし、生々しすぎるし、あまりにも大きな事件すぎる。だから「非フィクション」というかたちをとりたい。ノンフィクションと非フィクションとは違うんです。ノンフィクションには一種のフォーマットがあるから。フィクションでもなく、またいわゆる「ノンフィクション」でもなく、僕なりのかたちであの事件を描くにはどうしたらいいか――それを決めるのに時間がかかりました。
(「考える人」2010年夏号 村上春樹ロングインタビュー より)

 わたしは「アンダーグラウンド」を読んでいない。春樹が何でそんなことをしたのか全然分からなかったから。そんなのジャーナリストの仕事じゃないかと思っていた。聞いたものを、そのまま書いて本にする? それを小説家が(しかも、春樹が)やる意味は何なんだ? と思っていた。
 事件が起きた1995年、わたしは16才で広島にいた。高校と塾と家だけの小さな世界だった。わたしの友達は広島にしかいなかったし、東京の地下鉄で通勤している人たちも自分にとっては、実在しているかどうか分からないくらい曖昧な存在だった。「死」も「事件」もテレビの中の世界でしかなかった。テレビドラマとあまり変わらない手触りでしか、その事件を感じることができなかった。
 ネットで見かけるこの本の感想を見る限り、これを読めば、当時実感がなかったわたしでも、過去の終わってしまった事件としてではなくて、ひとりの人間の人生に思いを馳せて感じなおすことができる気がした。彼が小説家として何をしようとしたか、とても気になってきた。でも今はちょっと、目の前のニュースから聞こえる現実だけでもつらいから読めない。けれど、いつか読まなくてはと思う。備忘録。
 ようやく心から言える。今まで分かったような気になっていろいろな言葉をまきちらしていて、本当に今更ですけれど言わせてください。
 この度の東北地方太平洋沖地震で大切な人や生活を奪われてしまった多くの方々に、心からお見舞い申し上げます。