「よそもの」の視点

 オピニオン誌「京の発言」で連載しているエッセイが、ウェブでも読めるようになりました。なりましたっていうか、許可をもらって自分のページに載せさせてもらうことにしました。かなり気合と手間ひまかけて書いたエッセイなので、多くの人に読んでもらえるようになって嬉しいです。少しずつアップしていくので、よろしくお願いします。
 第一回は梶井基次郎の「檸檬」を取り上げたエッセイ。作家のたまごの「オンライン作品」から読めます。檸檬に登場した八百卯が閉店した今、結構、貴重な写真だったりして。
 ところで、わたしは京都生まれ京都育ちではありません。関西弁じゃないしね。いわゆる「京都人」ではない。そんなわたしが京都に関するエッセイを書くなんて…と、企画を提案してもらった当初は出来るかなあと不安でいっぱいでした。出来るかなあというよりかは、間違ったことを書いたら本物の京都人に怒られるんじゃないだろうか、なんて。でも、京都人じゃないから面白いんだと言ってくれて、なるほど、そういう考えもありかと思うようになったのでした。
 京都に限らず、ずっとその土地で生まれ育っている人には見えなくて、よそから来たから見えるものがあるかもしれない。それを書けばいいんだ、と思ったら、生粋の京都人に対してびくびくせずに、のびのび書けるようになった気がするなあ。このエッセイに限らず。
 いろいろな作品を取り上げて、作者のことも紐解いていくと、案外京都を舞台にした作品は京都人じゃない「よそもの」が書いていることが分かった。やっぱり物珍しいんだろうな。
 岡山で生まれて、山口→広島→鳥取→広島と中国地方を転々として、大学で福岡に住んで、院で京都に来たわたしは、特に思い入れの強い一つの地、みたいなものがない。どの土地も住んだら面白かった。だけどどこか一つの地にこだわる気持はまったくない。どこでも、よそもの。ずっと住んでる人にしか書けないものもあるだろうけれど、それは別の人に任せておいて、これからもこの「よそもの」の視点を武器に、いろいろ書いていこうかなあと思うのでした。