連載小説「ハウスソムリエ」第5回

 学芸カフェの5月号アップされました。インタビューの方の切り絵作品が、かっこよすぎる。
 http://www.gakugei-pub.jp/kanren/toshiken/index.htm
 月1回更新なんだけど、前の回がずいぶん昔のように感じます。今回は舞台を巻貝不動産から移して、客の社長夫人の視点で書いてみました。こういうことが出来るのは三人称ならではの強みだなあと思う。この短さで、これだけ間があいてしまうと、一人称だと停滞してしまう気がして。なんとなく。勘だけども。連載とか正式には初めてなので。 
 三人称といえば、「1Q84 Book3」を読み始めてしまいました。いろいろ終わってから買おうと思ったのに。そして個展の準備が終わってから開こうと買ったのに。あったら読むよね。今回は3つの視点で順番に語られる。そのおかげで、読み始めたら最後まで止まらないという事態は避けられている。3つを一巡したら本を置く。でも、もう3分の2くらい読んでしまった。個展始まる前に読み終わる気がします。
海辺のカフカ」と「アフターダーク」は個人的には何だかイマイチだった。それは以前の作品にはあったオシャレさみたいなのがなくなって、俗っぽくなった気がしたから。いい、悪いではなく、春樹のやりたいことと、わたしの読みたいことが一致しなかったのだと思う。でも「1Q84」は、さらに俗っぽい。泥臭い。ワイドショーやゴシップにとりあげられるような俗を組み入れている。だけど、それらを澄み切った個人的な正しさで描き出すから否応なしに読んでしまう。揺らぎない三人称。面白いとか面白くないとか、はっきりいってよく分からない。鍛え抜かれた肉体のアスリートが目の前でぴんと張り詰めて競技を始めたら、ただただ圧倒されて心を奪われて、その行方を見定めたくなるように、読まされてしまう。それはとても気持のいい強制力。
 分析や解説は一切、読みたくないと思い続けて、Book1のときからずっと解説本や書評を読むのを避けてきた。あるがままをそのまま受け取りたい。読み終わったら、あるがままをそのまま受け取った人と、どうだった?と(解釈ではなく)感触を語りあってみたい。
 主人公の二人はわたしと同じ30歳なのに、わたしは彼らに共感しない。隙がない。だけど、共感できる、という以外の面白さが、この小説には大いにあるから読んでしまう。さすがだと思う。だって、共感さえさせてしまえば、あとはどうにでも誤魔化せるじゃないか。描写がまったくなくても、あたし、ユミコ。15才。みたいな文章でも少女たちは共感して泣いたりするわけですよ。共感なしで読ませちゃうってのはもうなんというか、すげーなーと言うしかないのです。彼らが何をするのか見届けたくなる、三人称の小説の強み。
 春樹を読むと、長い物語を書きたくなるね。短い話は結構ちょくちょく書いてるんだけど。個展が終わって、Birthのイベントの東京行きが終わったら一段落するはず。書こう。長い物語を。シロナガスクジラのように、ゆっくりとじっくりと長く長く息をためて、物語の世界にもぐっていこう。

 今回の個展のプロフには、これを使いました。撮影は、チロルさん。彼女の来月の写真個展用に撮りおろした中の一枚を拝借した!