罪のスガタ

罪のスガタ

罪のスガタ

 読了。とても面白かったです。わたしが小説を連載している学芸カフェで映画エッセイを担当している野村雅夫さんが訳している本です。イタリアの映画監督であり作家でもあるシルヴァーノ・アゴスティの短編集。「裁判官」「被害者」「殺人犯」という三編が収録されていて、それぞれは独立した話なのだけど、この3つの立場があることで「罪のスガタ」が浮かび上がってくる一冊。
 連載をご一緒してるから言うわけじゃないですが、文章がよかった。訳がいいのか、アゴスティの独特の文章なのか、普通の小説の編み方とは少し違うけれど深いところに絡み付いてくるような、頭じゃなくて体が先に理解してしまうような文章だと思った。なんかですね、言ってしまえば、太宰とか川端とかの、あのへんの日本語がもっと自由でのびのびしていたときの文章のような感じ。色気のある文章というか。
 物語は、一人の人生をつむぎあげる純文学のような粘りと、ホラーのようなサスペンスのような迫力のある世界観と、そして何より、人間への愛に満ちていると思った。
 ところで、ここ数ヶ月、ある裁判の傍聴をしていました。陪審員に選ばれたからとかじゃなくて、たまたま、裁判傍聴が趣味の知り合いが日程まで調べたのに行けないと言ってたので、代わりに行ってみたのでした。初めて入った傍聴席。被告との距離は、予想していたよりもずっと近かった。ニュースや顔写真でしか知らなかった被告が、生身の人間として目の前にいて、手錠と縄につながれて現れて、目の前で裁かれていく。正義感なんて持たずに入ったわたしは、一方的に観察していることに気まずさを覚える。彼がふっと顔を上げてこちらを見たら、目が合ってしまうだろう。でも、被告はずっと俯いていた。情状酌量証人の叔父が、被告の母親の話をしたときだけ、顔を上げて泣きそうな顔で、叔父を見た。
 裁判傍聴レポートも書けるくらいメモを取ったけれど、わたしが伝えるべきは、誰が何をしてあれはどうなったという表面上の好奇心を満たすものではないな、と思って、このウェブには書かなかった。まあ友人たちと会ったときの喋るネタにはするけれども、ね。
 人を裁くって何だろう。罪を犯すって何だろう。謂れのない被害を受けるってどういうことだろう。そんなことを思っていたから、この本に出会って、またいろいろなことに思いを馳せることができたのでした。よい本でした。装丁も素敵だし。おすすめです。