全ては愛につながっていたのです。

 執筆の苦悩をひたかくし、小説家たるもの小説以外の場ではぺらぺら書いたり喋ったりしないのだよ、という境地には一生かかってもなれない気がしますが、ぺらぺら喋っていると良いこともあるもので。建築な小説がなかなか書けないと騒いでいたら、あまりに見かねたのか何かのヒントになればと、知り合いの方のおうちを取材させていただくことになりました。
 先祖代々から伝わる商家を、工業デザイナーの家主がリタイア後に趣向と技術を凝らしまくってリフォームした和モダンなおうち、夢想庵におじゃましてきました。

 家主が撮影してくれました。服装が家とマッチしてなさすぎる。和服が似合うおうちですよね。…と思えば、屋根裏部屋にあたる場所にはプロ級の音響設備を完備したホームシアターがあったり。

 いやでも、こういう設備や建物を見るだけなら雑誌でも充分なのですが、実際に行って感じたのは、家が住んでる人の愛に溢れてるよということでした。ここでの生活を心から愛しているのがびしばし伝わってきて、そうか、愛だよ愛なのよ、と感動して帰ってきました。
…どんなレポートだよ。わたしがライターだったら速攻没原稿でしょうけど、今回は小説家モードで行ってきたのでいいのです。言葉に出来ないたくさんのもやもやは、きっと物語の中に生きると思う。
 一番印象深かったのは、家が周囲の世界とつながっているということでした。行く前は、自分の思いどおりの家を建てるということは、自分の理想の世界を作りあげることで、もっと閉じたもので、宝箱に入ってる自慢の宝物のようなもの、もしくはガラスケースに入った美術品のようなものだと思ってました。でも、庭を猫が歩いていたり、お客さんを迎えるための工夫が随所にあったり、町並に溶け込んだ外観だったり、先祖から受け継いだ家のいいところを生かしていたり、家が自分だけのものじゃない、という印象で、それが何だかカルチャーショック。
 でも、本当にいい家ってそういうものなんだろうなと思いました。家って単独では素敵なものにならなくて、町があって、住む人がいて、訪れる人がいて、歴史があって、生活があって、とりまく自然があって、そういうものを全部つつんでくれる懐の深い家が、いい家なんだろうな、と。
 中庭には野良猫が集まってきて、のんびり雨宿りしていた。

 家を愛したら掃除も自然とするようになるよね。自分好みの家だったらますます愛せるしね。家を愛することは日々の生活を愛すること。自分の足元を見つめなおすこと。
 わたしも今、修繕から始めないといけない一軒家に引っ越したおかげで、住むということの根元を見つめる生活になった。どういう仕組みで家が出来ているのかを考えないといけない生活。そうすると家がなかなか可愛く思えてくるし、そうしたら掃除もしようかという気になってくるのでした。ちゃんと暮らしております。
 まあ最初だけかもね。今、暇だからね。