少し朗報×2

 少し朗報。
 ダヴィンチ文学賞群像新人賞の二次通過してました。でも最終には残らなかった。どちらも最終一歩手前までは行ってたけれど、そこから先に行けなかった。以前すばるの三次通過したときのパターンと一緒だ。
 でも、なぜだか結構、淡々としています。今の時期まで何も連絡がなかったので最終に残ってないのは分かっていた。で、発売された雑誌の予選通過者の欄を見て、自分の名前を見つけて、喜ぶでもなく、悔しがるでもなく、まあこんなもんか、と思った。
 以前は、身近な人の予選通過や、全く知らない受賞者がねたましくて悔しかった。落ちたら落ちたで、編集者の見る目がないと恨んだりしてた。でも、急にふっと誰が受賞しても悔しくなくなった。たとえれば、走っているトラックからライバルが消えて、一人ぼっちになった感じがした。ああ、わたしは誰かと競走しているわけじゃない、ただ、一人しかいないトラックを一人で孤独に走っているんだ、と思うようになった。冷静に受賞作を読めるようになった。自分に足りないもの、受賞作に足りてるものが見えて、自分のゴールが分かった。あとは、ゴールを目指して走るだけ。
 そんなふうに思った頃から、ぽつぽつ予選を通過するようになった気がする。
 ここ最近は、ずっと新しい長編が書けなくて書けないまま1年が終わったことに鬱々としていた。新作を出したかったけれど、全く仕上げられなかったことが悔しかった。そういう合間に、駄目もとで応募した過去の作品が、こういうふうな結果を残した。自分でゴールに達してない作品だと思っていたので、結果は素直に受け止められた。
 たぶん、次に行くためには、新しく書かないといけないんだ。自分で「受賞に達してる」と思える作品を仕上げられていない今の状態が、やっぱりとても悔しい。
 3日前、まだこの知らせを全然知らないときに、わたしはこのまま同じ1年を過ごすわけにはいかない、と結論を出した。
 このまま、また手ぶらで、来年の4月を迎えるわけにはいかない。同じ1年を繰り返すわけにはいかない。ある決心をしたその次の日、ダヴィンチ5月号の発売日で予選通過していたことを知った。それから、今日は群像の発売日だった。少し朗報×2。このまま静かに突き進みます。