文学賞のシーズンですが

 10月末は文学賞締め切りラッシュですが、わたしは出せません…。みなさん最後の追い込みしてるんでしょうかね。がんばれ〜!
10/31締め切りの賞(独断チョイス)
女のための女によるR-18文学賞
群像新人文学賞
■朝日新人文学賞

 新人賞といえば、朝日新人文学賞受賞した楽月慎さんが二冊目の本を出しましたよ。

青色ミライ (カッパ・ノベルス)

青色ミライ (カッパ・ノベルス)

二冊目おめでたい。わーい。妻も子もいてサラリーマンしながら小説家をするって本当にすごい情熱だと思う。彼を見てると、実験が忙しくて書けないとか言ってる場合じゃないやと思う。

 あ、R-18文学賞を受賞した宮木あや子さんも11月に新刊が出ます。2冊目だって。まだ表紙が見れないけど。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-08-774896-3&Sza_id=MM
 花魁ものでデビューした彼女ですが、これは現代もの。現代っていっても財閥やら何やらって、そんじょそこらのおじょーちゃんたちじゃなさそう。こんなふうに自分と違う境遇の舞台に果敢に切り込んで書き上げてしまうのってすごいなあと思う。彼女を見てると、やったことないから書けないとか言ってる場合じゃないやと思う。

 で、文学賞といえば(と無理矢理話をつなげつつ。喋りたいことがいっぱいあるのだよ)、審査員しまくってる高橋源一郎さんですが、このコラムが面白かった。
http://122.200.201.84/column/genichiro_takahashi/

 源一郎さんの言ってることの主旨とは大分ずれる話をするけれども、わたしも20歳の頃、小説家になるなると宣言して躍起になって文学賞に出すための作品を書いたりしてた。そのときだって今だって「小説家になりたい」という思いは一緒なんだけど、なんだか質が今と全然違う。20歳のときは、わたしは他にもいろいろな才能と可能性があるんだけど(一流企業で稼いだり、編集者になって時代のムーヴメントを作ったり、研究者になって新たな発見をしたり)、でも小説の才能があって世間がわたしに小説家になってほしいと思っているだろうからなってあげてもいいよ、という気持ちだった。どこのイカレポンチですかね。でも本当にそうだったんだ。選ばれる気だった。街中を歩いてて、可愛いからスカウトされて、芸能界とか興味ないけどどうしてもって言うなら悪くないかなとか思ってるうちに、とんとん拍子でトップアイドルになってしまうような、そんな気持ちで「作家になる」と思っていた。いやあ、若い若い。自分には小説しかないって言ってる人たちを見ては、わたしはいろいろ能力があって才能があるからなかなかそうは言えないなあ、ある意味羨ましいなあなんて余裕かましてた。

 でも今はどうかというと、いろいろやってみたけど全部駄目で、お願いだから小説家にならせてくださいって土下座して頼む気分。わたしにはこれしかないんです、と叫びながら。いろいろやってみたけど全部駄目で、というほど挫折したわけじゃないし、たぶん就職だって研究だってそれなりにやろうと思えばその道でやっていけるかもしれないけれど、でも「やろうと思えば」というところが重要で、やろうと思えないんだということが分かった。あれだ、本当は好きな人がいて片思いしてて、まだ可能性が残されているのに、他の人と付き合ってみたらうまくいかないってやつだ。その好きな人さえいなかったら、別に他の人とでもそれなりにうまく言ってるんだろうけれど、好きな人が諦められないせいで、他の人に時間を割いてる場合じゃない、こんなことしたいわけじゃないと思ってしまう。難儀じゃのう。でも、心から好きな人がいるだけ、いないよりまし。

 ここまで到達するのに7年かかったわけだ。若くしてデビューしてる人たち見てると、わたしの20歳の頃の心持とは全然違うって思う。あんなに若いのに、わたしには小説しかないっていうオーラがみなぎってる。それ含めて才能だと思う。一回働いて30過ぎてデビューする人にも同じオーラがある。いろいろやった、精一杯やった、でもそれを投げ打ってまで自分には小説しかない、というオーラがある。小説家って、選ばれておだてられて頼まれてやる職業じゃない。それは全部の芸術やエンターテイメントがそうかもしれない。出る前は誰も出ることを望んでない。でも一旦、すごいものを出すアーティストになれれば、大勢の人間に切望される。なくても生きていける、あると豊かになれる、そんな分野。

 土下座してでもやらせてもらいたい、わたしにはこれしかない。これしかやりたくないから。まあね、これしかないって思って、才能なくて全然芽が出なかったらアイタタなんですけどね。アイタタな人生でもいい、なんて覚悟も忘れずにね。