一週間東京に滞在してました

 ええ、こんな時期に紛らわしいこと極まりないですね。集○社も行ってきたよ。外から建物見ただけだけど。次は呼ばれて来なきゃ。

 週の前半が学会、週末が友人の結婚式と東京での予定が微妙に重なったので、交通費もったいないしとばかりに一週間友達の家に居候してました。そして毎日遊んでました。きゃほいっ!東京のいろんな街を歩いてきた。いろんな人に会ってきた。毎日が旅だった。
 学会に来る事はもうないんだろうな、と思う。研究や知識が増えるのは面白いけれど、あの熱気にはもう加われなくて何だか疎外感を感じた。あれだ、たとえば小説家になるのを諦めたのに、小説家と志望者が熱く語り合ってるパーティーにぽつんといる感じ。もうわたしはその道のものじゃないんだな、という気がした。でも未練はなかった。

 電車の中で、右腕が変な方向に曲がって暴れるのを左手で力一杯押さえつけている若い男を見た。知らない人が見たら下手なパントマイムかと思うだろう。右手が別の生き物のように勝手に動くなんて。恐らく、彼は体が勝手に不随意運動を起こすハンチントン病で、だとしたら彼は10年後には死んでしまうのだろう。(突然右手が弾かれたように跳ね上がる。乗客が驚いて人の隙間が出来る。右足も不随意運動を起こしていて、壁に押しつけて押さえていた。
 研究者として成せるか成せないか。食っていけるかいけないか。職業にするかしないか。そんなことを考えてこの道に進んだわけではなかったことを思い出した。世の中の治療法のない病気の、とくにその人がその人であるために不可欠な心の病気の治療に貢献できたらいいなと思って足を踏み入れたんだった。若いうちに発症してしまう統合失調症や、自殺につながる可能性の高い鬱や、人に対して親しみを感じられない自閉症や、記憶や認知機能が悪くなるアルツハイマー病や。体の疾患だって無数にあるんだから、脳だってこれだけいろいろあってもおかしくないんだろうけれど。何だか特に、脳(精神、こころ)の疾患にかかっている人のことを思うと苦しくなるからこの道を選んだ。
 研究に人生をかけるのをやめて、まるでその電車で会った男を目の前で見殺しているような気がした。気がした、じゃない。そういうことだ。小説を読んでもらうことで誰かの気持ちを救えたら、なんて言い訳はしない。残念ながら彼らにはそんなものは効かない。彼らだけじゃない。食べ物がなくて飢え死にそうな子供にも効かない。銃口を向け合う兵士にも効かない。子供を殺された親の悲しみにも効かない。犯罪を減らす役にも立たない。

 でもそれでいい。一切れのパンほどにも役に立たないじゃないかと言われても動じない。わたしは、たくさんの人間を見殺しにしながら小説を書く。