ノルウェイの森、再読中

 好きな作家は?と聞かれて、村上春樹と答えると(とりあえず、彼の名ならみんな知ってるので)、相手は「ノルウェイの森」について熱く語り始めたりする。「ノルウェイの森」って20歳頃に読んだには読んだけど、登場人物の名前とか詳細までは覚えてないので、とても困る。え、村上春樹好きなんでしょ?違うの? と向こうも困って、気まずくなってしまったりする。
 あんまりに困るので、再読しようかなあとずっと思ってたんだけど、結局、人と話を合わせるためみたいな動機だけじゃ、わざわざ再読しないわけで。で、今まで来てしまった。
 だけど、「考える人」のロングインタビューの中で、春樹が、『ノルウェイの森』について、「(書き終わったあとに)これは僕が本当に書きたいタイプの小説ではないと思った」と語っていて、それを読んだら何だか「ノルウェイの森」を再読したくなったのでした。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

 まだ上巻の半分だけど、読みながら、村上春樹の言ってることがよく分かった。
 ノルウェイの森は、まるで歌のような小説だと思った。物語としての骨組み、地に足着いた感、現実感、立体感が、乏しい。読者は直接場面を目撃するのではなく、語り手の偏見と断言に満ちた口調で世界を説明される。でもだからこそ、感情をここちよく刺激するエピソードが根をはやさないまま(水に浮かぶ花のように)流れていって、世界に酔うことができる。
1Q84」が目指そうとしていることと明らかに違う。でも、読みながら、こんな小説も悪くないな、とわたしは思った。
 30歳になったわたしは、この話に丸ごとのめりこむことはできないんだけどね。なんかおっさんくさいなあ、この19歳の主人公…とか思いながら読んで、何言ってんだよお前、とか登場人物のセリフに突っ込み入れてしまったり、風景描写長いよ分かりにくいよ…って思ってしまったりするんだけども。でも、わたしは若いとき、確かにこの物語に熱狂的にのめりこんだことを読みながら思い出してた。体がしっかり覚えていた。
 というか、のめりこんでいたという客観的な証拠があった。大昔に書きかけてうまくいかなくて途中でやめた物語のあれもこれもが、ノルウェイの森に出てくるエピソードと類似していたことに、読み返して初めて気づいたのでした。ああ、だから書けなかったんだ。人の物語だったから。わたしの肉体から出た物語じゃなくて、人のつむいだ物語から生まれたものだったから、少しも成長しなかったんだ。人のものなのに、まるで自分の物語のように錯覚していたのは、未熟さのせいなわけで、それに気づいたときはちょっと落ちこんだけども、でも、それを完成させられなかったということが、わたしを強く力づけた。わたしはきっとこれからも、誰かのものをうっかり取り込んでしまうかもしれない。でも、わたしが物語と誠実に向き合っている以上、それは決して完成しない。裏を返せば、完成したものは、間違いなくわたしの物語だと自信を持って言える。
海辺のカフカ」の前までの作品を、わたしは20歳くらいのときに、一気に全部読んだ。そうして、その結果、書き手としての本能的な恐怖を感じて、全力で村上春樹の影響から逃げた。このままでは取り込まれてしまう、という恐怖を感じた。
 わたしは、たくさんの本を読んだ。なるべく春樹っぽくないものを注意深く選んでは、ひたすら読んだ。海外のものも。古典も。体内の春樹濃度を薄めたかった。除外するのではなく(食べたもの吐くような真似はもったいないので)、他のものを大量に取り入れることで影響を小さくしたかった。読書の過食症だった。ちなみに、「僕」という人称でよく小説を書いていたけれど「村上春樹みたい」と言われるのが嫌で(村上春樹しか知らないから、みんなそう言ってるだけなんだけど)、「僕」を最近まで封印してきた。
 そのやり方がよかったのか悪かったのかは分からない。よく作家になるためには一人の作家を集中的に読みなさい、というアドバイスが書いてあったりもする。同じ本を何度も読みなさいと言う人もいる。わたしはそれらの言葉に耳を貸さずに、物語をひたすら食べ散らかしてきた。そして、今、わたしはこれでよかった、と思っている。雑食性ならではの体力がわたしの個性になっている(と、思ってます)。もう、どんなふうに書いても春樹に似てるとは言われないだろうし、言われても気にならない。これからは違う読み方をしていこうかなと思っている。それは誰かのアドバイスではなく、そうしたほうが物語によさそうだと自分で思ってきたから、そうしようと思う。
 実は、同じようにわたしに危機感を抱かせる作家がもう一人いて、それは太宰治なのでした。好きだからこそ、影響が大きい。気をゆるめると無意識で真似してしまいそうで。だから距離を取っている。ときどき朗読するくらい。
 好きな作家は他にもいろいろいるけれど、取り込まれる恐怖を感じる相手には何だかこう体に直接うったえてくるんだよね。ばななとか江國香織とかも、同じことを感じる。だけど彼女たちはわたしと波長が違うのか、取りこまれる恐怖はない。わたしにとって恐ろしいのは、春樹と太宰。だから素直に好きとは言えないのです。でも、そろそろ言えるかもしれない、と思いながら、続きを読むことにします。