旅人

 あったかい1日でした。いよいよ三寒四温というやつに突入ですか。何となく鼻がむずむずして目がちくちくするのも、気のせいじゃないみたいですね。まあわたしは、それほどひどい花粉症ではないのだけれども。
 よく1冊の本を書くのにどのくらいかかるのか、とか、1日何枚書くのかとか訊かれるのだけれど、うまく説明ができない。たとえば、「月野さんのギター」の場合なら、実際に使われてる文を書いた期間自体は20日間くらいで、推敲やら校正やらが1ヶ月くらい。でも、書き始める前に、悩んだり、書いては消したり、別のエピソードを書き連ねてやめたり、という期間を入れると、2年くらいかかっているかもしれない。捨てたエピソードを含めると、本になった倍以上の枚数は書いている。
 昔、あるマラソン選手が「当日スタートに立つ、その時点でもうレースの80%が終わっている、スタートしてからは20%」というような内容のことをテレビで話していて、当時のわたしは、ものすごく驚いた。スタートしてゴールするまでがレースで、それが100%だと思っていたから。
 と、いうことを、思い出して、これだ!と思った。マラソンのレースにたとえると分かりやすいかもしれない。マラソン選手があるレースに出ることを決める。実際のレースまでに、体を鍛えたり、コースをシミュレーションしたり、距離を伸ばしたり、トレーニングを重ねる。実際にレースと同じコースも何度か走るかもしれない。そして本番に臨む。あとは走りきるだけ。
 小説の書き方は人それぞれだけれど、わたしのやり方は、レースに臨むアスリートに似ている。まだまだ、アスリートに比べたら甘いだろうけれど。今は、スタート地点に立つことができて、ようやく本番のレースを走り始めているところなのです。
 とはいえ、1日に何十枚も書けない。書こうと思えば書けるけど、たぶん、つまらないものになってしまうので、数枚分のワンシーンを一発入魂で書くことにしている。というわけで、毎日何をしているかといえば、数枚書くための集中力やら気力やらアイデアやらを貯めるために、ぶらぶらしてる。実質的に机に向かって書いてる時間は2時間もないから、どう見ても、ゴクツブシというやつである。気が向いたら家事もする。ご飯も作る。向かなかったら外食する。たまに精神的副業(金銭的には本業)の塾の仕事もする。
 そのほかの時間は、何をしているかというと、気の向くままに歩いてみる。カフェに入ってぼーっとしてみる。写真を撮ってみる。部屋で本を読んでみる。ネットもする。毎日せっせと働いている人たちに殴られそうな生活をしている。
 何だか、一人旅のようだ、と思ってみる。学生の頃、海外に貧乏旅行して安宿に泊まり、特に何をするでもなくぶらぶらしたり本を読んだり現地の人と交流したりして過ごしたという友人たちの話を聞いては、激しく憧れていた、あの旅だ。楽しい観光旅行じゃなくて、何の目的もない長い旅。そんな何もないところに何しに行くんだ、一人であぶないじゃないかと父に反対され、何で一人で行くんだ俺もつれてけと恋人に言われ、絶対叶うはずがないと思ってた憧れの一人旅が、今実現している、らしい。
 うーん、こんなものか。楽だけど、特に楽しいわけじゃない。足元がおぼつかない。これでいいのか、という不安が常につきまとって、地に足つけて生活を営んでいる人たちの間をふわふわ漂う日々。旅には終わりがあるから旅なわけで、貧乏旅行している彼らには日本の生活という帰るところがある。わたしの旅の帰るところは、どこだろう。小説を書くためにぶらぶらしてるのだから、小説が完成することが旅の終わりだろう。ああでも、完成するだけで、誰にも面白いと思ってもらえなかったら、意味がない。完成させて、面白いと言ってもらえるまで、わたしはいつまでも帰れない。気楽この上ない生活をしながら、怖くてたまらないのは、帰れないかもしれない不安のせいなんだろう。旅人は誰からも責任も負わない代わりに、帰れないかもしれない、というリスクを背負っているのかもしれない。