「真面目」

 いいかね。人間は年に一度くらい真面目にならなくっちゃならない場合がある。上皮ばかりで生きていちゃ、相手にする張り合いがない。


 世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけでできている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後は心持ちがいいものだよ。君にそういう経験があるかい。


 なければ、ひとつなってみたまえ、今だ。こんなことは生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もうだめだ。生涯真面目の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほどでき上がってくる。人間らしい気持がしてくる。


 真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけてはじめて真面目になった気持に成る。安心する。


(「虞美人草夏目漱石より 抜粋)

虞美人草」の怒涛のラストで、宗近君が小野さんを説教するときのセリフです。漱石の使う「真面目」は、現代のわたしの思う真面目とは違っている。でも、この気取りのない当たり前の何でもない言葉で説かれるから、身に染みて、泣きそうになる。何度も何度もこのシーンを読んでいる。
 論文が、ようやく完成した。あとは踏ん張って、無事掲載が決まるまで前進するだけ。塾バイトの前期分が終わった。夏はほとんど仕事がない。仕事がなければ金もないから遊ばない。書くしかない。一つずつ片付けていく。真面目になるために。
 宗近君のセリフが、頭の中で鳴り続けている。
「真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。」