実践的日記(2)

 私がはじめて彼に会ったのは一九九八年の春、私は十八歳で彼も十八歳だった。
 大学の片隅に二階建てのサークル棟があって、仕切られた部屋のそれぞれに色分けされた大学生が養殖魚のように納まっていた。棟の入り口ではマンドリン部が群れなして合奏し、回廊では吹奏楽の連中が単音を鳴らす練習を延々と続けていた。
 私が所属したサークルに彼がいた。小説や詩を書いては内輪の文集を作り、その内容について集団で批評をし合うようなサークルだった。部室はサークル棟にちゃんとあった。隣は書道部で、反対の隣はSF研究会。部屋といっても本棚で仕切っただけだったから、喋る声が筒抜けだった。私は滅多にそこへ寄り付かなかった。部室は狭く、漫画と紙類と雑多な落書きと見知らぬ先輩でごった返していたからだ。若かった私は、その部屋に静かに収まっていられるほど、キャンパスライフというものにまだ失望していなかったからだ。
 彼は大抵部室にいた。他の部員と談笑したり、一人漫画を読んだり、時にはどこから持ってきたのかボードゲームに興じたりしていた。部室は常に笑い声が絶えなかったが、それは薄暗く限定的な笑いであった。溶かした飴のような濃密な親近感がそこにあったが、一歩部室を出て世間の風に吹かれれば散って消えてしまうような、どこかうさんくさいものだった。彼はそこに馴染んでいるように見えた。おかげで、しばらくの間私は、彼が自分と同じ新入生であることに気付かなかった。
 私は小説を書き、彼も小説を書いた。当然、そういうサークルだから他の部員たちも小説を書いたり詩を書いたりしていたのだが、当時、口に出してプロの小説家になると宣言していたのは、わたしと彼だけだったように思う。
 実験的という言葉を彼はよく用いた。実験的な試みの多くは失敗し、私はそれをつまらない小説だと批判した。一方で私は試みのない小説を量産し、彼に批判された。こっぴどく。
 

「先輩たちは仲が悪いのかと思っていました」
 二〇〇〇年の春、わたしと彼が恋人同士になったと知ったとき、共通の後輩であるNは言った。間違ってはいない。今でも、わたしたちはとても仲が悪く常に対立しあっている――小説に関しては。


 小説以外の話もしよう。


 一九九八年の冬、年末の飲み会の会場へ向かうバスの中だ。私がふと彼の名前を出したとき、女の先輩が
「あのジャニーズ系の顔の子」と言った。
 この人は一体何を言っているのだろう。私は黙って先輩を見た。彼女は分厚い眼鏡をかけてはいたが、それをかけていれば座席の一番前にある料金表から目的地の料金を見出すほどには視力がよかった。
 わたしは想像の中で、彼のいつも被っているノッポさんみたいな帽子を取り上げ、長いぼさぼさの髪をすっきりと整え、冴えない眼鏡をコンタクトに変えて、ついでに服も着せ替えてみた。
「なるほど」
「でしょ」
「全く気付きませんでした」


     □■□

 
「今更何を言っているのかって、自分でも呆れるんだけど」
 パスタを巻き取りながら、二〇〇八年の私は言った。
「私、もっと自分の文章についてこだわってみようと思ったの」
「本当に今更だね」と彼は言って、少し笑った。
「おかしいでしょ、何年も小説を書き続けてきたというのに、ようやくそこに辿り着いたの。君は十年前にやってたというのに」
「その代わり」
 彼はアイスコーヒーを一気に飲み干す。注文した料理はまだ来ていない。
「君はその十年間で別のことをやってきた」
「順番が違っただけ?」
 彼はついでに水も飲み干して、
「たぶんね」と言った。
 チェーンのパスタ屋の割りに悪くない味だった。わたしが注文したのはアボガドチーズクリームソースのパスタで、彼の注文したのはトマトとアボガドの冷性パスタだった。ウェイトレスは、彼に向かって、冷性パスタは少々お時間がかかりますがと言い、彼は了承したのだった。
 ようやくウェイトレスが大きな皿を持って現れたとき、私の皿はほとんど空になるところだった。

村上春樹羊をめぐる冒険」の文体で日記を書くという実践)