また少し、分かってきた

 書かなきゃ、書かなきゃと思いながら1年が過ぎていった。今は栄養を蓄えるときだって思っていたけれど、蓄えられてるのか、そもそも栄養になってるのか分からないまま、いつまで経っても長い話を書ける気がしなかった。話が生まれたと思ったら、あぶくのように消えてしまう、の繰り返し。やっぱり締め切りがないと駄目なんだ、3月末の新人賞応募には何が何でも間に合わせる、と覚悟して、予定を片っ端から断って、仕事のない日は書くことばかり考えて、出ない出ないと悩んでたら、ようやくようやく物語が生まれた。動き出した。でももう、締め切りまで、残り半月もなかった。
 ねじ込むように半月で仕上げて出すことも出来る。でも、ぎりぎりで出してもよくない、ってことは分かる。今までは頭では分かってたけど、体は納得してなかった。この1年で、人に見せて感想をもらって、それをふまえることで文章をより伝わりやすくクリアにすることができる、という経験をたくさん味わってきたから、腹の底から納得した。素材の塊だったものを、組み替えて見えやすくしてどうやったら伝わるか工夫して、そこまでやって本当の意味での完成だと思い知った。
 かといって、じゃあ、次の締め切りに…と延ばしたら、今までと同じ繰り返しで、気を緩めたものは結局完成せずに自然消滅してしまう。さて、どうするの。
 なんて、残り半月じゃ「完成」しそうにない物語を抱えて迷っていたけれど、ようやく腹が決まった。このままちゃんと書き続けていたい。すばるには間に合わない。でも、3月末、もしくは4月にかかっても期限を切って、まず第一稿を完成させようと思う。そこから直して、信頼できる人に読んでもらって、再び直して、6月末に文学界に投稿できたらいいな。今まで自然消滅してしまったのは、最初に決めた締め切りを過ぎるときに全く未完成だったのがよくなかったんだと思うから、一旦完成させる。でもまだ出さない。きっと、受賞とかデビューとか、そういう問題じゃない、それが、わたしの作品に対する責任。読んでもらう人に対する責任なんだと思う。
 3月末にどうしても仕上げなきゃって書くことに集中している今のテンションを、いつも保たないといけないんだろう。それが小説を仕事にするということなんだろう。3月だから、4月になれば、そういう問題でもない。一生続く、長距離走の、ペース配分なんだろう。手綱の締め方、緩め方。自己管理命の職業だよね、本当。
 4月になれば、って思ってたけれど、それにこだわらず、動き始めようと思う。会いたい人に会ったり、やりたいことをやったり、遊んだり、義理を果たしたり、夢を見たり。その中で自分で決めた締め切りを守って「仕事」をしていけるよう、今のうちに書くペースを体に叩き込まなくちゃ。百枚なら何ヶ月かかるのか、てね。
 さてさてー。桜も咲いてきましたよ。今年度は、わたしは、変わるぜー。書き溜めちゃうぜ。えいおー。