戻り方を学ばなきゃ

 電車に乗ってたら、目の前に座っていた40くらいの女性がおもむろに鞄からレース編みセットを取り出して一心に編み始めた。何を編んでいるんだろう。結構な量のレース生地が金属の編み針からぶら下がっている。女は化粧気がなく、髪はウェーブがかかって座席につくくらい長く、電車が止まるたびに目をぎょろりとドアに走らせ、またレースに視線を落とし、黙々と編み続ける。一人、また一人と乗客が降りていく。わたしが今から向かう場所は、こんな休日にわざわざ誰も行かないような僻地で。案の定、やがて電車の中はレース編み女とわたしだけになる。

 と、いうような出来事があったなあと今更思い出す。一週間前のことだ。手帳をめくるけど、そこには何も書かれていなかった。普段ならこういう小さな事件とも言えないような出来事を手帳のその日付のところにせっせと書きとめているのに。4月の半ばから今までが、全くの空白だった。それまでは細々と書かれていた黒い蟻のような小さな文字が、全く見当たらなかった。家計簿を付け忘れていて二ヶ月くらい空白だったのだけど、ここにもまた空白があった。

 読書するにもリハビリがいる。おととい借りた本が全く頭に入っていかなかった。トーベ・ヤンソンノーベル賞を取った中国人作家の2冊を借りたのだけど、どちらも全く読めなかった。文字が頭に入らない。入っても入った先からするするとこぼれて、何の意味も残らなかった。駄目だな、これは。

 日曜日は、本を図書館に返して、もっとわたしに近い日本人の現代の女性作家ものを借り直した。久々にお気に入りの本屋に行き、ヴィジュアルが豊富な雑誌を眺め、一冊手に入れる。空白の家計簿(excel自作)にレシートとにらめっこした数値、もしくは?マークを埋めていく。手帳を開き、黒いボールペンで小さな文字を書きつける。作品の入った封筒を休日窓口に持っていってようやく投函する。読みたいと言ってくれて完成したら送るからと約束してたのにずっと待たせてたから、ほっとする。掃除機をかける。ワンピースを手洗いする。

 わたしが今学ばなきゃいけないのは、戻り方なんだと思う。そういえば、毎年毎年、どうして3月末にしか書けなかったのか。院生生活が忙しかったのもあるけれど、いつまでもなかなか戻れなかったせいなのかもしれない。戻り方ってどうすればいいんだろう。日常に流されていても戻れない。日常と反対のベクトルへわざと抵抗するほどに沈んで停滞してようやく、少しもとの場所に戻れるのかな。このコツを早く掴まないといけない。次の作品に移れない。プロ作家になったら、作品を仕上げて、作者の仕事はそこで終わりのはずなのに、インタビューやらキャンペーンやら売り上げやら賞やら何やらで、浮き足立つイベントが盛りだくさん(人気になれば…)なわけで。早く切り替えて次に向かうということを身に付けておかないと、いつまでもずるずると流されてしまいそうだな。

 昨日の日記に書いたSWITCHじゃないけど、女優さんも一作一作頭を切り替えていかないと、いけないんだろうな。どうやってリセットするのかな。
 わたしの場合は作者だから、物語の世界から抜け出せないというよりは「作者」という栄光の座にいつまでもしがみついていてしまう。物語を完成させたとき、わたしはその物語の王様であり神様だ。自分の作った王国の頂点にいるのはとても気持ちいい。そこから自分の作ったものを眺める。満足する。でもいつまでもそこにいたら、次が書けない。早く王座から自分を引き摺り下ろして、タダノヒトに戻らないといけない。何もない人。今から何かを作れるかもしれないけれど作れないかもしれない、0の人。書いている最中は必死でしんどくてつらいけど、この何もない状態もなかなかきつい。でも、ここに戻らなくては、次が何も生み出せない。

 早く行け。その物語はもう読者の手にゆだねられたんだ。わたしは物語の王ではなく、創始者なんだ。早く次へ向かって走り出せ。