第4回「桜の樹の下には」梶井基次郎

朗読アップしました。7分で完結する短編です。
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 桜の樹の下には屍体が埋まっている---このフレーズ自体は有名だと思うんだけど、この短編から来てることはどれだけの人が知ってるんだろう。わたしは桜の樹の下には死体が埋まってるというのを何で知ったんだろう。CLAMPとかかなあ?
 しかし、このフレーズで驚いている場合じゃない。びっくりするくらい、暗いのです、梶井という小説家は。病的に暗い。丸善にレモン置いて立ち去る爽やかそうな有名な短編「檸檬」も、とにかく暗い。鬱々と町を歩いていく話。始終病気だらけで31歳で病死したという運命も彼の作風に影響を与えてるんだろうな。
 でも暗いからこそ、檸檬だったり桜の樹や小さな生き物が一筋の光のように鮮烈に輝く。生命の光が見える。読んでいると、光溢れる世界に慣れて鈍磨した心がはっと震える。今回、この作品を読んでみて、次の文章が彼の世界観を一番よく表しているのじゃないかと感じました。

 この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んで来る。

(「桜の樹の下には梶井基次郎より)

 一文、一文、身を削って書いたような壮絶さがある。忘れられない。凄みがあって、投げやりさがどこにもなくてとことん真面目で、恐ろしいようなことを言っているようだけど話し手本人は格別変わったことを言っているつもりはなくて、何の疑問もなく生きている人たちの世界と、半身だけずれてしまった、そんな主人公だと思いました。実はこれ、何度も録音に挑戦してはピンと来なくて中断してる。今回病みあがり(食中毒)なのを生かして、今だ、これだ、今しかない!ってな感じで読みました。声がかすれてお聞き苦しかったらすんません。でもこういうイメージなんだよな。健康的にはきはきと読む物語じゃない気がしたのでした。