第三回 「秋」芥川龍之介

 朗読アップしました。
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 芥川龍之介の「秋」と聞いて、あああれね、と思い出せる人はどれだけいるんだろう。わたしはこの短編を収録した文庫本をずっと昔から持っていて、何回か読んだはずなのに、今回初めて発見したような気持がした。まったく覚えていなかった。地獄変蜘蛛の糸やろうれんぞの話やら鼻やらは思い出せるのに、これだけは全く印象になかった。当時、それほどいいと思わなかったんだろうな。でも今のわたしはこの作品がとっても好き。主人公が小説を書くものだから感情移入してしまう。
 太宰の女生徒やらカチカチ山やらと聞き比べると、随分読み方が違ってるのが面白い。文章には声があるなあと思います。ゆっくりすぎるかな。でもこのくらいのゆっくりさじゃないと頭に入ってこない気がしたのでした。芥川の小説は美しい。完成度が高い。文章が美しい。豪華絢爛な美しさではなく、数学の定理のような高尚な美しさを感じました。それを声で表現できたかどうかは分かりませんが、よかったら聞いてみてください。

 さて、この物語の主人公「信子」はどんな女だと思いましたか?
 ここから先はあらすじも書いちゃうので、聞いてから読んだ方が面白いかもしれません。


 女学生時代から文才を発揮して小説家になることを本人も周りも疑わなかった。文学を志す従兄、俊吉と相思相愛だったはずなのに、妹も俊吉を好きなのを知って自分は身を引いて他の男のところへ嫁入りしてしまった。嫁入りした先では、小説なんか書くなと言われて涙を落としながら、それでも夫婦の仲はちゃんと修復して甲斐甲斐しく夫に尽くす。かといって、全てを納得しているわけではなく、ときどきふとこれでよかったのか疑問に思ってしまう。でも疑問に思ったり、寂しくなった気持ちに、敢えて向き合わない。この敢えて向き合わないというところが、信子という女なんだと思ったのです。「妹のために自分が身を引いて他の人と結婚したほうがよい」「夫と仲良くやっていくために小説は書かないほうがよい」こんなふうに頭で考えてそれを実行してしまう。だけど、自分が我慢していることを自覚していない。自分の本心にわざと向き合わない。本心に向き合う前に、こうするべきということを先に行動してしまう女性なんだと思いました。しかもそれは単に無自覚で愚かだからなのではなく、もし、本当の自分の心に向き合えば「そうしたくない」という結論に辿りついてしまう、ということを本能的に察知して敢えて避けている。頭がいいからなんだと思う。
 彼女は決して不幸ではないが、少しだけ、哀しい。「万事真面目な信子」は、こうするべきという思いから外れて自分の気持を優先することは出来ないんだろう。しかも器用にやってのけてしまう。他人は彼女を何の曇りなく幸せだと思うだろう。それもまた哀しいと思った。

 最後の場面で、「秋」と信子がつぶやくその一言にそんな気持をこめてみました。伝わるといいな。